2013年11月23日土曜日

目を閉じておやすみ

Canon (2002/10/22 - 2013/11/23)

ひとつのともしびが消えました

やさしく、我慢強く、無条件に

ありったけの愛で家を満たしてくれたカノン

必ず行くからソラの原っぱで遊んでな


 
2013年三月
カノンが緑内障と診断され
即、点眼薬治療を始める
その時はまだ視力は残っていて
「長い闘いになる」と、私の気の緩みから
次の診察を一週間先延ばしにした間
症状は急変しており、カノンの右目は光を失っていた

四月
主治医から眼科の専門医の紹介を受ける
精密な検査で右目に大小二個の眼内腫瘍が確認され
腫瘍が房水の排出を阻害している可能性が高く
点眼薬治療の効果は期待できない
転移のことも考えると眼球摘出の選択肢しかない


眼圧は高まる一方で痛かろう
目を残してやりたい気持ちはあるが
もう見えてないのだから早く解放させてあげないと

しかし問題が

手術前の全身検査で血小板が少なくなっていることがわかった
このままでは安全に手術を受けることができない
まずは血液の治療を進めなければならなくなった

ステロイド投与の治療虚しく
ほどなく血小板の値はゼロを示した
眼球摘出手術そのものは難しい手術ではないが
出血が止まらず大事に至ることが予想される
眼科専門医からは「手術は難しい」と判断を下された

その間にも眼球はだんだんと膨張し
我慢強いカノンもしきりと気にするようになった
大きな痛みに耐えているはずで
放置すれば精神の崩壊も考えられる

このような血液の状態でも
手術を成功させた経験のある主治医は
眼球摘出をすすめてくれた

五月
万全な状態で臨めない手術のリスクと
痛みからの解放、転移の防止をてんびんにかけて
私たちは手術することを選んだ
連れて行かれるカノンを見てクリスはわんわん鳴いた

手術は成功し右目は無くなった

心配していた出血もなく術後の経過も順調で痛みも引いていった
右側の視野が狭まり家具にぶつかったりしていたが
それにもすぐ慣れたし、幸い左目はいたって健康
ちょっと不便だけど、またいっぱい遊ぼう…



七月
安堵の時は短かく、まもなくカノンは足を痛がるようになった
前だったり、後ろだったり、右だったり、左だったり
運動不足でも筋力低下でもなく
免疫システムの異常による多発性関節炎

ステロイド剤で免疫を抑え込むも
またしばらくするとどこかが攻撃される
徐々に発生の頻度が高まり立てなくなることも…
散歩に行きたがらなくなった

九月の血液検査
自らの免疫が暴走し赤血球を異常に早く壊してしまう難病
免疫介在性溶血性貧血の診断が下された
ステロイド投与量が週ごとに倍々と増えてゆく

少しでも副作用の少ない免疫抑制剤への切り替えを試みたが
うまくゆかずステロイドと免疫抑制剤のダブル投与が続く
カノンの身体はみるみるやせ細りふさふさのコートは抜け落ちた

カノンは車でおでかけするのが大好き
車の前を通ると、いつもドアノブを鼻でつついて
「コレで行こうよ」ってアピールしていたのに
毎週病院ばかり行くものだから車も嫌がるようになった

十月
普段の生活に介護ハーネスの支えが必要になった
それでも大好きなおうちを汚すまいと
がんばって庭に出てトイレを済ませる

週末の検査で赤血球の数値は確実に低下
28kgあった体重は22kgまで落ちた
重度の貧血、そして余命宣告…

苦しませても安心できる家で一緒にいるか
それとも、嫌いな病院で安楽死なのか
カノンどっちなんだよ

十一月
体力が底をつき、もう自分では起き上がることができなくなった
介護ハーネスでかかえ上げても手足が所在なく空を舞う
その時が近づいている、私たちはずっと一緒にいることを決意した

頭を起こすのがやっとになると、もうお庭には出られない
介護ハーネスは意味をなさなくなった
昼間はカノンのお気に入りの窓辺で
夜は抱っこでベットに移動して一日を過ごす


ご飯を食べられなくなると流動食をスプーンで
水は自転車用のボトルで飲ませてあげる

十一月二十三日
お口にキープして決してクリスに渡さなかったおもちゃも
残された左目で静かに見ているだけ

カノンは小さいころから目を開いたまま寝る習性があった
苦しい息が止んだあとも開かれた瞳孔を閉じることなく
私たちを見続けてくれた

享年十一歳一ヶ月



がんばったね、カノン

目をつぶってゆっくりおやすみ